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慰霊祭に参加して

21日(日曜日)鹿児島県霧島市で行われた特攻隊員の戦没者慰霊祭に参加しました。

親父の兄が74年前にこの地から飛び立ち、九州南東海上で戦死、当時25歳。

 

1945年、終戦の玉音放送の前の約半年間の出来事。ずいぶん前に感じますが、私が生まれるわずか6年前。当時、国分と溝部の飛行場から、427名が飛び立っています。

 

若くしてここまで追い詰められたとは・・・

平和な世に生かされている者の一人として、何も心配することなく生きていること自体に感謝せずにはおれません。

 

この慰霊祭は、今回が56回目とのこと。戦後、18年目から続いていることになる。国分と溝部の飛行場があった縁で、霧島市が中心になってこの会を続けておられる。慰霊祭では、地元中学生の誓いの言葉もあり、不戦の精神を後世に繋げる霧島市関係者のご努力に感銘を受けました。

 

この写真は、当時の滑走路のコンクリート片と記念碑です。